2019年4月18日木曜日

デギン•ソド•ザビの治世

 デギン•ザビが実質的に権力をふるったのはUC60年代後半のダイクンの死〜UC70年代後半の暁の蜂起直後のクーデターまでである。クーデター後はギレン•ザビに実権を奪われデギンは公王として象徴的存在に留まった。



 しかしデギンが実権を持った約10年間こそがジオン公国の基礎を作り、その後の独立戦争を戦い抜くだけの国力と士気の高さ、結束力を生み出したのだった。なお、デギンはスペースノイドの自治独立よりも国内政治の方に感心が有り、戦争という過激な手段を用いてまで独立する事は考えていなかった。

 この時代、資本主義的な政治経済のシステムの中で貧富の差が拡大し、スペースコロニーの住民の大多数をしめる庶民は苦しんでいた。そこでデギンは国内体制を一気に社会主義、計画経済の方向に舵を取って方向転換し、国民全体が中間層となる事で国力を増強し、連邦政府から平和裏に独立を果たす事を理想とした。

 具体的には

 ●大資本が所有する娯楽産業や投機的金融機関に重税を課し、衰退させる。
 ●一定時間基幹産業に従事する事を義務として全国民に課して、国力を増強させる。
 ●義務教育から軍事教練を導入し、短縮1年の徴兵制を実現する。
 ●徴兵制を王族を含めた全ての国民に課して国民の結束を高める。

 等といった改革が行われ、無理の無い労働で豊かな生活が出来る社会的基盤を構築し、大きく国民の支持を集めていた。また他のサイドからもジオンに移住してくるものが多かったと言う。そしてこの期間に勤勉で実直なジオン国民というイメージが確立された。

 しかし同時にこの時期のジオン公国は連邦政府の黒幕からの資金援助を受けて大幅な軍備増強を行っていた事も確かであり、この時期のジオン公国の繁栄は実際にはデギンの手腕のみによるものでは無かった。しかし、そう国民に思わせる事が連邦のカウンター勢力を生み出したい黒幕にとっては都合が良かったのだった。

 この後、ギレンのクーデターによってジオンはギレン体制に移行するが、基本的な社会制度はデギン体制のまま維持された。しかしギレンの戦争遂行計画によって締め付けが厳しくなり国民の負担が増した事は事実である。なお、デギン治世の10年弱を多くの歴史学者達はコロニー国家として最も幸福な社会を実現した10年間であったと位置づけている。

 連邦軍との3年に渡る戦争を乗り切り、その後もジオン残党として各地で抵抗を続けた勢力が存在し得たのはこのデギン治世の『ジオン繁栄の10年間』が記憶に有ったからに他ならない。
 

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