UC50年代前半、全てのサイド都市における政治システムは上院下院の二院制であり、上院は連邦政府の議員で占められており、サイド市民が選挙で選べるのは下院議員のみであった。そして法案の通過には上院の承認が必要であったため、地球系大企業から献金を受けた上院議員と、さらにそのおこぼれに預かろうとする下院議員によって地球系大企業に都合の良い法案が次々に可決されていき、サイド3における貧富の差は拡大していた。
月の裏側に位置していたサイド3は月面開発や鉱物資源採掘の関係で工業系労働者が多いサイド都市であったが、それゆえに状況はさらに厳しく、サイド3市民の不満は爆発寸前であった。そうした中、スペースノイドの自治独立を説いた著作を出版した政治思想家のジオン•ズム•ダイクンが、当時サイド3で独立運動に参加していたデギン•ソド•ザビやジンバ•ラルの手引きでUC0052年にサイド3に移住する。
その結果、独立運動はさらに加熱し盛り上がって行くが、関係者の検挙や不審死、内部分裂などのトラブルが相次ぎ闘争は泥沼化し膠着状態に陥り、運動が下火になっていく。ところがその時、デギン•ソド•ザビに出資を持ちかけて救いの手を差し伸べた男がいた。スペースコロニー間の輸送事業で頭角を表した新興大資本ローゼンベルク家の当主クライド•ローゼンベルグである。
しかし実はこの男は食わせ物であった。そもそも独立運動の関係者に検挙や不審死、内部分裂などのトラブルが起きた事自体がローゼンベルク家の差し金であり、弱らせた上で助けて独立運動そのものを乗っ取るという計算であったのだ。そしてさらにローゼンベルク家にその指示を出していたのが(いつの時代も存在する)世界規模の巨大財閥群であった。
では何故彼等はサイド3の独立運動に出資しようとしたのか。そもそも彼等は圧倒的に連邦政府寄りの立場であり、当然ながらその莫大な資金力によって連邦政府にも絶大なる影響力を与えていた。彼等の考えはこうだった。”スペースノイドの自主独立運動はこの先いくらでも出てくる避けては通れない問題である。であれば、その最大手に浸透しこれをコントロールする事で無害化し、ガス抜きの場として機能させる事にしよう。さらに最終的に武装させて過激化させれば、それを利用してスペースノイド独立運動=悪のレッテル貼りを行う事が出来る。"
こうした計算の元、ダイクン一派に莫大な資金が流れ込み、彼等はムンゾ共和党を組織し、運動は大きく発展する。この時、ローゼンベルク家とダイクン一派の窓口に選ばれたのが政治力に長けたデギン•ソド•ザビであった。
この結果、ムンゾ共和党内でデギンが実権を握る事になり、ダイクンが象徴的指導者、ジンバラルはその側近であるという体制が出来上がった。それでも政権を取る等と言う事は力学的に不可能な状態であったのだが、ダイクン一派を支持する独立派の市民運動が暴徒化し連邦軍の駐留部隊と衝突するという事態が起きるに至った。
ところが大半がスペースノイド出身者で占められていた連邦駐留部隊は士気が著しく欠けており多くの者が任務を放棄し、サイド3出身者に至っては勝手に部隊を結成して独立運動の側についた。これによってパワーバランスは一気に独立運動側に傾き、連邦による傀儡政権の象徴であった議会を占拠、上院議長などがサイド3を脱出するに至り、革命が成就した。この結果ムンゾ共和国による革命政権が誕生し、初代首相にジオン•ズム•ダイクンが就任した。革命政権は独自の立法権と軍事力の保有を連邦政府に認めさせ、ここに後のジオン公国の基礎が築かれたのだ。UC0058年の事である。なお、この事変を機に連邦軍はコロニー駐屯部隊の編成を大きく変更した。具体的には地球出身者の割合を増やし上層部に集中させ、かつ当該サイドの出身者を含まないようにしたのだった。
この後ローゼンベルク家はムンゾ共和国への出資をさらに本格化させ、息のかかった人材を政権中枢に送り込んで行く。また大資本が出資しているという事実が彼等の信頼を大きくし、それはさらに新規の出資を呼び込んでムンゾ共和国の国力は増強されていき、UC0065年の時点で駆逐艦30隻からなる独自の艦隊を保有するに至った。
ところがこのあたりから実権のデギン=象徴のジオンズムダイクンという構図が明確化していき、ダイクンの思い通りに事が運ばなくなって行く。そしてそのストレスからダイクンの思想と行動は過激化していき、かねてからの愛人であったアストライアとの仲も隠そうとはしなくなりメディアに嗅ぎ付けられるのも時間の問題であった。一方でデギンはそうしたダイクンの尻拭いをするのに奔走する日々で、デギンとダイクンの仲は急速に冷えて行った。
このままではムンゾ共和党による革命政権の存続すらも危うくしかねない。デギンはそう考えていたが、それはクライド•ローゼンベルクも同じであった。そしてローゼンベルクが"ダイクンを暗殺してカリスマ化した方が今後のムンゾ共和国のためになるのでは無いか"という事をそれとなくダイクンにほのめかし、ダイクンはそれを否定しなかった。そしてローゼンベルク家のエージェントによってダイクンは毒殺され、ムンゾ共和国はジオン公国となり、名目ともにデギン•ソド•ザビが権力の座についたのだった。UC0068年の事である。
なおダイクン暗殺の真相を知っているのはザビ家ではデギンのみである。これによりますますローゼンベルク家はサイド3への出資と浸透を加速させ、ジオン公国は軍事大国化していった。デギンは「ムンゾ共和国全体のために、既に常軌を逸したダイクンを英雄のまま葬り去ってやるのだ。」と考えたのだった。
ところでUC0058年のムンゾ革命ではサイド3による自治独立は勝ち取ったものの根本的な政治システムはぞれ以前と同じ資本主義であり、故にサイド3に多く暮らしていた労働者階級の暮らしはさほど大きく改善されたわけでは無かった。そこで権力の座についたデギンは行き過ぎた資本主義こそが諸悪の根源であるという独自の政治理念に則り、ジオン公国を国家社会主義化し、経済に政治が大きく介入する事で "強い多数派"としての中間層を生み出して国力を高めようとした。
尤も社会主義といってもザビ家の権力基盤そのものがローゼンベルク家の出資によって成り立っていたため「社会主義ゴッコ」とでも言うべき形骸化したものではあったが、逆にだからこそこの方針は成功し、ここから独立戦争までの約10年間、ジオン公国はコロニー都市としては最高レベルの繁栄を謳歌する事になった。この"デギン治世下における繁栄の10年間"がジオン国民の士気を高め、その繁栄の記憶とムンゾ革命の成功体験が敗戦後も続く抵抗運動のモチベーションになったのだ。
一方で、デギンの最大の感心事は国内政治にあり独立そのものでは無かったから、この頃のジオン公国でもまだ国内に連邦軍の駐留を許しており、デギンはそうした状況を変える気もなかった。ローゼンベルクもそうした"連邦の手の平の中での独立”を望んでおり、彼の息のかかった者達が政権中枢に巣食ってそういうシステムを助長させていたのだった。一方この頃既に成人して政治と軍事の両方に介入していたギレン•ザビとキシリア•ザビは連邦駐留軍を追い出した完全な独立を理想としていたので、この状況が面白く無かった。そうした中で起きたのがUC0077年のシャア•アズナブルとガルマ•ザビ率いるジオン士官学校生による駐留連邦軍基地襲撃事件、つまり暁の蜂起であった。
ギレンとキシリアは暁の蜂起直後の混乱を見逃さず、デギン周辺に巣食った「連邦の息のかかった者達」つまりローゼンベルク家のエージェント達を排除するべくクーデターを起こし、これによりデギンは実質的に実権を失う事になる。そしてローゼンベルク家はジオン公国に対する政治的コントロールを大きく失い、連邦駐留軍はジオン公国から撤退し、事態は一気に開戦へと向かう事になった。出資者が育てた軍事大国がそのコントロールを外れて連邦に牙を向いてきたのである。
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